誰でも、自分の人生において
大きな影響を受けた人がいると思う

自分の人生を、大きく変える人との出会い
原鈑は、小学5,6年の担任の先生です



ひと学年、7クラスもあり
全てが40人以上の、マンモス小学校

勉強にしろ、運動するにしろ、やんちゃをするにしろ
どのジャンルにも、スーパースターがいて
自分に対する自信など、とても持てなかった小学生時代



元来の内気な性格に、磨きがかかり
クラスでも、ほとんど目立たない生徒でした

そんな原鈑が、5年生になったばかりの時
担任になった、川上先生が「終わりの会」で言われた言葉

「石田(原鈑の旧姓)くんは、掃除の支度が誰よりも早い」
みんなの前で、名指しでホメられ
頬が紅潮してくるのが、自分で分かります
純粋な少年は、有頂天になり
ホメられることにより、ちょっとづつ人前に出れるようになりました



今思えば、埋没している内気な子供を
何とか光を当ててあげようと、機会を先生がうかがっていて
掃除の支度が早い、などとたわいのない事で
とりあげたのでしょうが、自分の前に道が広がるような
そんな感覚におちいり、6年生の3学期では
投票で、学級委員長に選らばれると言う
信じられない事まで起きました




内気な少年の、37年後の姿

同窓会のクラス代表スピーチで、冬の朝
軍手でキャッチボールをしていて、窓ガラスを割り
用務員の稲田さんに、怒られている現場のマネを
しているところ(笑)



中学校の同窓会を終え、新潟を後にする最終日に
先生と、お食事の約束をしていました
前回お会いしてから、15年ぶりです



85歳になられた今も、杖なしでスタスタと
こちらが歩く以上の、スピードで歩かれます




小学生のころの自分に、歩むべき道を拓き
導いて下さった恩師との、会食




先生のお話は、年配の方特有の同じ話の繰り返しなど
まったくなく、小学生に戻って授業を受けているかのような
錯覚に陥るほどでした


教師をしている間、自分自身を先生だと思ったことは
一度もないそうである、「えっ!?」びっくりして聞き返すと

自分の目の前にいる、子供たち一人一人が
自分に、教師のやるべきことを教えてくれる
先生だと思って、やっておられたそうである



泣き、笑い、怒り・・・感情を隠すこともせず
走り回っていた頃、先生はとんでもなく先を行かれていた
とてつもない、存在であった

40年近くの歳月が流れ
今は、どこぞのいいおっさんになっているが
目の前にいる恩師に、どれだけ近づけたのだろうか・・・

三歩下がって、師の影踏まずというが
いまだに、その距離まで近づけては
いないようだ・・・
  


Posted by 原田鈑金塗装  at 23:31Comments(11)天草以前のお話