2016年12月03日
とめどない悲しみを、包み込むもの
この二人は、奇しくも同じ誕生日だ
12月の2日
皆さんは、人生で一番感動したことは?と聞かれたら
なんと答えるだろうか
原鈑は、間違いなく「わが子が誕生した瞬間」と答えます
上の二人と違って、3人目の子「あみ」は
恐ろしく、せっかちに生まれてきた
2回目の、大きな陣痛が来たと思ったら
「もう生まれそう」と言う妻
病室から、分娩台に上がったと同時に
お腹から、世に出て来ようとするもんだから
先生が、出産に間に合わないので
あわてて看護士さんが、出て来ないよう
手で、ふたをする始末
お腹の中での元気さから、男の子かと思ったら
産まれてみれば、ジャスト3Kgの女の子
3人目の子供も、妻より先に胸に抱き
新しい命の誕生に、涙した
安堵と感動に心満たされ、新潟の実家に
電話をする
「生まれたよ、女の子だった」
母「ほ~、今日はオレの誕生日らよ」
すっかり忘れていた、12月2日
母の61回目の、誕生日であった
あらためて、二人の母の偉大さに
感謝した日であった
父の三回忌に、帰郷した際の写真
指先が器用で、人を笑わせるのが
好きな母だった
家では、ほとんどしゃべらない無口な父を
よく口がんでいて、好きなどとは
真逆のことばかり言っていた
父の葬儀の時、お骨を箸渡しする時に
「骨まで愛して」と「愛しちゃったのよ」という
昭和のヒット歌謡曲にかけあわせて
母が「骨になってから、愛しちゃったのよ」と
口ずさみながら、父のお骨を渡すものだから
笑いと一緒に、こらえていた涙が
ポロポロとこぼれた事が、今は懐かしい
晩年は、骨粗しょう症に苦しんだ母
しかし、気丈な母は「痛い」とか、「苦しい」とか
弱音は、決して吐かない人だった
すべては自分の運命として、受け入れていた
兄からの電話で、母がかなり悪いと聞いて
駆け付けた時、病院のベットに苦しそうに横たわる母
自分が来たことを知ると、目にはうっすらと涙が
「5月の連休には、みんなで来るから頑張れ!」
しかし、かえってきた言葉は
「もう、しんどい・・・父ちゃんのところへ行く・・・」だった
「わかった・・・もうがんばれとは言わね
母ちゃん、オレを生んでくれてありがとう
おかげで今、すごい幸せだ」
「おまえが幸せなら、オレも幸せ・・・」
母の最期の言葉だった・・・
世の男は、大なり小なり
みんなマザコンだ、その喪失感は計り知れない
湧き上がる悲しみは、平常心をたちどころに
突き破ってしまいそうになる
だけど、その感情を押さえ込むものがある
命を与えられ、その愛で育まれて
自分が存在するという現実
見返りは求めない、無償の愛
その命と愛を、次の世代につなぐ使命
いや、命でなくてもいい
わが子でなくてもいい
他の誰かに、その愛を渡せばいい
何らかの形で、また会えるという予感
そういったものが、とめどなく湧き上がろうとする
悲しみに、ふたをするのだ
自分が、幸福に生き抜くことが
親の一番の望みなのだから
12月2日、この日の悲しみを薄めようと
3番目の娘は、この日を選んで生まれてきたのかな
ありがとう